瞑想における大事なコツとは何か?
瞑想における大事なコツとは何でしょうか?
それはズバリ「そのまんま」です。
また「ほっこり」「やわらか」という言い方もでいます。
「そのまんま」も「ほっこり」も同じことをいっています。
といいますか「そのまんま」になると、「ほっこり」するというのが一つの目安になります。
ですので、瞑想の実習においては、「ほっこり」する感じが、「そのまんま」という文脈で感じられるのが大事で、基本にもなってまいります。
気づきの瞑想でも、ビーイングでも、ハート瞑想でも同じ要領で、土台になってきますね。
「ほっこり」した感じは、受容力とか、落ち着き、ハートフルという体感にもなります。
そのまんまでいるという意味
瞑想では、「手放す」とか「何もしない」という言い方をしています。「そのまんま」もそうですね。
で、こうした説明を聞くと、大概は「その意味の通り」に行いがちだったりします。つまり、意図的に「手放す」行為をしてしまう。
が!これは間違いだったりします。
間違いは言い過ぎかもしれませんが、不適切なんですね。
言葉では、説明上「手放す」とか言っていますが、「その言葉の意味通りに行動する」にはならないんですね。
もし、言葉の意味通りに「手放す」をやってしまいますと、下手をすると虚無、意欲の欠如となってしまいます。これは不自然です。違和感をおぼえるはずです。
もし違和感を憶えないならば、それは仏典などを知的・観念的に理解し過ぎています。この有り様は間違いです。
これは瞑想や修行における大事なポイントにもなります。
言葉を理解しても、その意味の通りに行動しない。意図的に行わない。厳密にいえば、言葉や説明に対しての適切な距離感が大事になるということです。
ちなみに「気づきの瞑想」では、言葉・観念からの適度な距離感を智慧(名色分離智)といって重視し、育んでいきます。
しかし、特にはじめての人は、この説明に面食らって、頭の中に???が付いてしまうかもしれません。
が、ここはとても大事なポイントになります。時間をかけてでも、実習とともに体感で理解していく必要があります。
カリスマ保育士・川口正人さんの子育て
このことのわかりやすいたとえとしては、たとえば、以前紹介したカリスマ保育士・川口正人さんが行っている子育て・保育になります。
川口正人さんは、子どもに対して「エライね」「頑張ったね」と言葉はかけないで、まなざしや態度で示すだけといいます。
というのも、言葉をかけると、言葉による条件付けが作られるようになってしまい、人が言ったことに対して、条件付きで反応するようになって、功利的・打算的な感性を育んでしまうからだといいます。
言い換えると、天然自然な感性が育たなくなるからだといいます。もっといえば、誰もが持っている叡智や善性が育たなくなるからです。
川口正人さんが行っていることは、誰もが持っている天然自然な善性を育むことですね。
で、これこそが叡智です。
子どもであっても、大人があたたかく見守っているならば、自発的に天然自然な善性を発揮するようになります。
言葉を超えた領域の有り様。誰もが持っている善性や叡智。
瞑想では余計なものを落としていく
川口正人さんが言っていることは、瞑想でも同じだったりします。
が、大人の場合は、いろんな知識や判断、空想・妄想、理想、あるいは過去の記憶や条件付けによって感情が乱れています。
ですので、こうした余計なものを自覚して、落としていく(落ちるようになる、距離ができるようになる)必要があります。
とはいっても、意図的に落としていく(手放す)と、これまたギクシャクしてしまいます。
なので「そのまんま」にするわけなんですね。
何もしないでいると余計なものは落ちていく
で、そのまんまにしていると、時間はかかっても自然に落ちていくようになります。で、「ほっこり」に。
傷は自然に癒えていくように、手を付けないでいれば、余計なものも自然に落ちていきます。
で、このことを「手放す」「何もしない」といっています。
瞑想のコツは何もしない
瞑想では、ほとんどが、このプロセスになります。
このプロセスを通して、瞑想ができるようになります。だから時間がかかるんですね。そうして落ち着きも出てくるようになります。
ですので、瞑想では「素敵な心を作る」とか「素晴らしい人間になる」ということはしません。
結果的にそうなることはあっても、意図的に目指しません。誰もが持っている天然自然な善性と個性が、自然に出てくるようにしていきます。
少なくとも、ワタクシが教える瞑想、勧める瞑想とは、こういうものになります。
文字での説明は、うまく伝わらないこともありますが、そういうことになるんですね。