霊視・霊能力について
霊視・霊能力。
霊を見たり、神を見たり。
あるいは過去世を透視したり。
こうした不思議な能力(シッディ)が使える方は現実にいらっしゃいます。
また、その能力の源泉も、真我系であったり、アストラル界系であったり、あるいは何らかの霊的な存在が関わっている場合もあります。
で、霊視、霊能力に関しては、決して否定しません。むしろ積極的に認めています。人間の認知能力の拡大として、現実に生じますし、あり得るからですね。
むしろ、霊視・霊能力を否定するほうが、「おかしい」とさえ思っています。
霊視・霊能力による情報は鵜呑みにしない
しかし現在、私としては、霊視・霊能力を持った人がもたらす情報は「参考程度」としています。
もっとも、心を明るくさせ、前向きにするアドバイスや情報なら別です。
けれども、もし心を暗くさせ、不安を引き起こし、モヤモヤとさせるなら、一切受け入れないほうがよいと思っています。
極論すれば、この手の不安めいたアドバイスや情報は「信じない」、あるいは遠目に見て「エンタメとして楽しむ」といった取り扱いが望ましいと思っています。
で、畢竟、その能力者の認知が善く(肯定的でポジティブ、相手の長所を褒める伸ばす姿勢)、オープンな性格で、知的であったり配慮があり、相手を不安がらせない方ならOKですが、そうでなければ関わらないようにしたほうが良いと思っています。
なぜ、このように思うようになったのかについて、以下、書いてまいりたいと思います。
霊視・霊能力も認知の範疇にある
冒頭に書いたとおりで、霊視・霊能力で見聞した情報は、鵜呑みにではないきなと思っています。
なぜなら、霊視・霊能力といえども、人間の「認知作用」だからですね。霊視・霊能力も「認知」の範疇にあります。
認知の範疇にある以上、通常の五感---見る、聞く、かぐ、味わう、感じる---といった五感の作用と、本質は同じなんですね。変わりありません。本質的には同じ。
で、認知である以上、そもそも誤解や誤認が起きることがあります。
ところが、霊視や霊能力の場合は、能力者しか確認でいないという悩ましげな問題があったりします。一般的には確かめることができません。これが厄介な点。
しかしこれって、自分で確かめることがでいない「噂話し」や「伝聞」と、本質は同じなんですね。
やはりあらゆる情報というものは、第三者や複数の人で確認することができて、初めて信用に値すると思います。またこのようにしたほうが賢明だと思います。
まして、その霊能力者の知性や知能が今ひとつと感じられる場合は、要注意になるでしょう。間違って解釈している、誤認している可能性が、より高くなっているからです。
なので、霊能者がもたらす情報は、情報の性質として、そもそも不確実性の高い情報であって、これを安易に信じることは非常に危ういと思うわけですね。
これはとても大切な着眼点だと思っています。霊能者による情報を鵜呑みにしない。
人は認知の作用を受けている~霊視・霊能力も同じ
そもそも人の認知(理解)は、それぞれ各人の記憶(体験、知識、理解、判断など)に基づきます。
人は、体験した記憶、学習した知識、考え、理解の仕方などなどが、各人によって異なってきます。
さらには、生来の知性の働き、知能の状態も関わり、同じ事を見ても聞いても、微妙に解釈や表現が異なります。
しかも、当人が、否定的な見方をしやすい、相手のネガティブな部分を見ることが多いと、否定的・ネガティブに言いがちになります。
こうした認知(記憶)に基づいて、人は、判断したり、解釈したり、理解します。さらに、知能の状態や認知の傾向も、違いの要因となっています。
で、霊視・霊能力によって見聞しても、同じように「認知」の作用を受けますので、本質的には、通常の五感と同じなわけですね。
リスクも同じようにあるってことです。
認知には歪みが生じる
人は、誤認・誤解するときがあります。てか、結構、起きていますよね。
たとえば、夜道にロープがよこたわっていると、「ヘビだ!」と誤認してしまいます。ほとんどの人がヘビだ!と誤認するでしょう。
が、これは「認知の歪み」ですね。過去の記憶や体験、情報を結びつけて誤解してしまう。
これと同じように、霊視・霊能力でも誤認が起きることがあるわけなんですね。
しかも先述の通りで、同じものを見ても聞いても、その理解や解釈が微妙に違ったり、異なることも多々あります。180度異なる場合もあります。
霊視・霊能力で見えたり聞こえたりしても、それが本当なのか、事実なのか、正確なのかは、実のところ「別問題」なんですね。
もしかすると、夜道のロープと同じように誤認している可能性もあります。
実際、優れた能力者でも、誤認していると思われるケースがあります。間違っているいんじゃないのかなというのがあります。
霊視・霊能力を持っていないと確かめられない
霊視・霊能力が厄介な点は、先述の通りで、自分自身が霊視・霊能力の能力を持っていないと、確かめることができない点なんですね。
で、自分で確かめることができないにも関わらず、霊視・霊能力人の言説を頭から信じるというのは、よくよく考えればおかしなことなんです。もしかすると誤認の可能性があるからですね。リスクがあります。
しかも洗脳下、支配下に置かれやすくなります。
霊能力が問題なのは、こうした洗脳構造、支配構造が、知らず知らずのうちに作られてしまうことにもあります。
知性・知能は大切
特に、知性があまり良いとはいえない霊能者の場合は、無意識のうちに洗脳下や支配下に置いてしまうことがあります。自覚が足りませんので、気づかずに洗脳してしまうことがあるんですね。
ですので、やはり知性、知能は大切なんです。そもそも知性や知能は、どう理解し、判断するのかといった認知作用の基盤です。
このことは、何も霊視・霊能力に限ったことではありません。すべてに言い得ます。
自分で確認できていない物事を、いたずらに信じることは、これまた知性に問題があると言わざるを得なくなります。
能力者も、クライアントも、どちらも知性が欠かせない。
自分で確認でいないことをいたずらに信じるのはリスクがある
で、自分で確かめることができないという点に立てば、霊視・霊能力による情報とは、ザックリいえば、噂話しや伝聞と、本質的には違いがないんですね。
自分で確かめていない噂や他人の伝聞を信じることのリスクは、多くの方々がご存じだと思います。
これと同じで、自分で確かめることができない霊視・霊能力情報を信じるのはリスクがあります。厳密にいえば。
ですので、霊視・霊能力による情報を、いたずらに信用しないほうがよいかと思っています。
特に不安めいた発言、ビジネスに結びつけようとする発言は要注意です。
霊視・霊能力で見聞しても誤認することがある
くどいようですが、霊視・霊能力があることは事実です。
また本人には、霊視・霊能力を通して見えたり、聞こえたりしているのも事実です。
しかしそれぞれの認知は、各人違っています。
先ほども書いた通りで、同じ物事を見ても聞いても、解釈が異なることがあります。酷いときは、真逆になることもあります。
霊能者が見えているものは、本当に正しいのか、事実なのか。実際は、何とも言えないというのが本当のところでしょう。
ですので、自分で確かめられないことは、基本的には鵜呑みにしないことなんですね。
霊能者の人間性が最も大切
で、さらにいえば、このように不確実性といっても良い世界ですので、結局、霊能者の人間性ーーー相手の良い点を中心に指摘する、励ます、勇気を持たせる、ハマらせない、ビジネスに結びつけないーーーといった善良さが大事になるわけですね。
善良な性質の霊能者であれば、霊能力抜きにして信頼することもできるようになります。で、霊能的なことは副産物のように扱うこともできるようになります。
ところが、否定的なことを言って相手を不安にさせたり、ビジネスに結びつけようとしたり、ハマらせるような霊能者は、よろしくありません。一見して善良に見えても、よろしくありません。
で、こうなってしまう理由が、今まで書いてきたように「認知が不適切(否定的)」であったり、知性、知能が弱かったり、あるいはモラルが弱いからだったりします。
この手の方は、悪意が無くても、結果的に悪意になってしまうことがあります。つまり不徳、悪業になってしまう。で、これが怖いですし、気をつけなければならない点でもあると思っています。
自分で確かめることを大事にする
結局、
・自分で確認する。
・自分で理解する。
この姿勢。
この姿勢が大切なんですね。
で、この姿勢は、あらゆることに言えます。
霊視・霊能力以外にも言えます。
ですので、私としては、霊視・霊能力による情報は参考程度なんですね。
もっと言いますと、信じない。
あくまで、その霊能者ご自身が見た情報に過ぎないとして、取り扱いません。
噂話しや伝聞と本質は同じだからです。
ブッダが強調した「自分で確かめること」の大切さ
自分で確かめることの大切さ。
これはブッダが強調されたことです。
解脱とは何か?
輪廻とは何か?
こうした形而上の質問に対してブッダは「汝、自ら確かめよ」と再三にわたっておっしゃっていました。
ブッダも大霊能者といっていいほどの覚者だったわけですね。
そのブッダが「自分で確かめられないことは、安易に信じるな、鵜呑みにするな、自分で確かめよ」と口を酸っぱくして言われていたんですね。
霊能者の言説を信じなさいということは、一言も言われていません。むしろ逆。「いたずらに信じるな」「自分で確かめなさい」と。ブッダは、こう言われていました。
そう、自分で確かめることがもっとも大事なわけですね。この姿勢が大切なんです。
霊視・霊能情報は参考程度にとどめる
ですので、霊視・霊能力を持った方が、「あなたの過去世は◎◎です」「◎◎が浮かばれていません」といったことを言ったとしても、あまり信用しないほうがよいと思っています。
しかも、この手の情報は、仮にその霊能者が善意で言ったとしても、聞いた本人には不安が残ります。で、心が曇ることが起きます。
これでは本末転倒。
心を明るくして、前向きな気持ちとなることが大切なんですが、霊視・霊能力によるアドバイスによって、心が暗くなってしまい、モヤモヤとした気持ちになってしまうことが少なからずあります。
これは、その能力者の知性や知能が弱かったり、認知が否定的であったりすると、起きやすいことですが、注意が必要な点だと思っています。
少なくともブッダの方針とは違えるリスキーな有り様です。
もっとも、その霊能者が指摘した不安げなことを「すべて解決しました、もう大丈夫です!」と言ってくださるならいいんですよね^^
しかし「取りあえず、そのままにしておきますね」と言うようであったら、それは問題があると言えます。
こうした問題は、能力者の知性が弱かったり、知能がいまひとつな場合に起きやすく、これに加えて認知がネガティブであると、しばしば起きる問題であると感じています。で、注意が必要であると思います。
まとめ
霊視・霊能力には、諸々があります。
で、
・自分で確認することができない。
・心を暗くすることがある。
この2点から、今では、霊視・霊能力による情報は、基本的に避けています。
仮に言及があったとしても、参考程度にとどめるようにしています。
もっとも、知性や知能が発達している人なら別です。しかし知性や知能があり、モラルのある霊能者、能力者なら、
- そもそも不安めいたこと、否定的なこと、ネガティブなことを言わない
- 相手を不安にさせないことに留意する(相手の長所を褒めたり、希望を持たせるように言う)
- 次回、受けさせようと仕向けない(「次回も」というのは洗脳、支配下に置く始まりとなることが多い)
- 見えたことは、あくまで可能性としてとどめる、伝える(ほかの見え方もあることを伝える)
- 自分が見た過去世のビジョンが本当に正しいのかどうかは断定しない(保留にする)・・・レナード・ジェイコブソンはこのようにしている
- そもそも霊が見える、過去世がわかるといって指摘しない・・・天啓気療の北沢勇人さんがこうしている
このようにします。
一番よいのは、天啓気療の北沢さんのように「言わない」「指摘しない」「言及しない」という姿勢なんですね。
余計なことを言わないで、スーっとヒーリングをして解放し、本人をラクにしてあげる。
で、「なんかよくわかんないんだけど、よくなるんだよねー」と、ホッコリ、あたたかく話しをして、クライアントも喜んでハッピー。
これが一番いいんですよね。
いちいち、過去世とか、浮かばれていない霊がいるとか指摘しない。
何事もそうですが、自分で確かめることができず、また心を曇らせるものには、近づかない、関わらない、遠ざけるというのが最善です。
情報でも、人でもそうです。不安にさせるものには近づかない。必要以上に関わらない。人をいたずらに不安にさせること自体が罪であり不徳なんですね。悪業を積んでいるです。
こうした情報や人とま深く関わらないことが賢明だと思います。
エンタメとして楽しむ分なら害はありませんが、もし心を暗くさせ、モヤモヤを残すようであるならば、この手のものには一切近づかないほうが良いと、今では思っています。
で、冒頭にも書いた通りで、その能力者の認知が善く(肯定的でポジティブ、相手の長所を褒める伸ばす姿勢)、オープンな性格で、知的であったり配慮があり、相手を不安がらせない方ならOKですが、そうでなければ関わらないようにしたほうが賢明だと思っています。