観察瞑想(気づきの瞑想)の優れたメリット
観察瞑想(気づきの瞑想)やプレゼンス瞑想、あるいは通俗的になりますがマインドフルネスでは、
- 事実は事実
- あるがまま
- いまここ
といった瞑想という言い方ができます。
で、このことを言い換えると、
- 事実を事実として受け止める
- 空想・想像・仮説・イデオロギー・思想にとらわれ過ぎなくなる
- 将来のことを想像して思い悩んだり、過去のことを振り返って後悔することが減る
という言い方もできます。
気づき・洞察が高まると知性が高まる
観察瞑想(気づきの瞑想)、プレゼンス瞑想、マインドフルネスは「気づき」「洞察」瞑想ともいいます。
確かにこの瞑想の視点に立つようになりますと、物事の本質がよりわかりやすくなると思います。知性が伸びます。高まります。
現実に落とし込んだ言い方をすれば、学校のテストでは評価できない知性の高まり、構造的に物事を把握できる、洗脳にひっかかりにくくなるとも言えます。
今は思考に注意する時代
ちなみに昔は「モノ」が乏しい時代ですので、「欲望」が戒められる対象の第一になっていました。
しかし現代では「考え、観念、思想」といった脳内活動が大きな支障になっています。
空想、想像、仮説、妄想、思い込みなどが、実は現代では、不幸や苦しみの大きな要因になっています。
お金への受け止め方もこれに類するものですが、気づきの瞑想やマインドフルネスでは、空想、想像、仮説、妄想、思い込みといった脳内活動に振り回されないようにすることも大事な心得になってまいります。
モノも思考も同じ
結局、モノなどの物質も、思考・考えとまったく同じということなんですね。
「モノ」は、物質世界の固体です。
思考・考えは、アストラル界・メンタル界といった精神の世界では固体になっています。
どちらも固体です。
精神作用が固体というのはピンと来にくいかもしれませんが、固体なんですね。
瞑想により距離を保つこが大切
で、その固体に対して
- 距離感・・・執着するか、適度に接するか
- 取扱い方・・・ネガティブかポジティブか
といった関わり方、向き合い方がとても大事になってまいります。
執着(こだわり)やネガティブな関わり方は「生命本来の有り様」とは真逆だったりします。
生命本来の有り様とは?
生命本来は、
- 適度な距離感
- ポジティブに属する性質
というのがあったりします。
ですので、昔からこれも宗教では「ほどほど」「バランスが大事だよね」「善行のおすすめ」と言われているんですね。で、これらは全て「生命本来に立ち戻る」大事な実践項目にもなっています。
とらわれすぎ・否定的・目的志向過ぎるのは障害になる
とらわれすぎ、否定的な考えというのは障害になってまいります。
あと、実践するにあたって「なろう」「達成しよう」といった目的志向過ぎる姿勢では身につきにくいんですね。なぜなら「思考、考え、観念、教え」のレベルにとどまってしまうからなんです。
けれどもこのやり方が昔から行われている修行や修養だったりします。
気づき・あるがままで開かれる意識
実際のところは、「気づき」をともなう「あるがまま」「いまここ」といった有り様で、宗教的な眼目は体現できるようになっています。
このことは、ほとんどの宗教はでは明らかになっていなく、唯一、原始仏教系だけで明らかに説明されています。
で、気づきをともなう「あるがまま」の実践においても、執着(こだわり)やネガティブさは障害になりますので、「戒律」というのを設けて「注意していきましょう」とうながしているんですね。
戒律の本質とは?
で、その戒律もくだけた言い方をすれば、
- 考えにとらわれない(気づくようにして、いまここを心がける)
- 考えすぎない(気づくようにして、いまここを心がける)
- 否定的な見方、言葉、行為は慎む(やわらかい見方、言葉、行為を心がける、小さなことにも喜びを感じる、感謝する)
といった言い方でまとめることができると思います。
この戒律がおおよそできるようになると、瞑想は必ず進むようになります。そういう風になっていますし、そういう関係があります。
ですので戒律がおおよそできているかどうかが一つの目安にもなってまいります。