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智慧と慈悲
智慧と慈悲。
瞑想をはじめ、修行においては、この2つのエッセンスは非常に大事になってきます。
瞑想、修行では、さまざまな言い方ができます。
同じことでも、様々な表現ができます。
同じリンゴでも、切り口が変われば、見え方が変わります。同じように、瞑想や修行においても、さまざまな説明の仕方ができます。
智慧と慈悲も同じですね。
が、この2つはとても大事になります。
智慧と慈悲は、
- 智慧・・・知性、洞察、観察、理解、中立
- 慈悲・・・おもいやり、やさしさ、マナー、ゆるす、ほっこり
といった要素も連なっています。
智慧が無い・慈悲が無い
で、
慈悲の無い智慧は、凶器。
鋭利で、刃物のようであり、人を傷つけ、冷たく寒い性質です。ヒヤっとし、閉じた感覚と、嫌な感じを受けます。
智慧の無い慈悲は、妄想。
適切な判断や解釈が乏しく、迷信、迷妄、ぼわーっとして頭がゆるくなってしまい、混乱した感じを受けます。
智慧と慈悲がそろうと、叡智。
あたたかみがありながら適切な判断。TPOを踏まえた知見。自分や周囲をしあわせにする。
こうした有り様ですね。
これは何も瞑想や修行の文脈にかぎりませんね。
日常では望ましい有り様ですし、こうした有り様であるならば、ほぼ円滑でスムースに運ぶようになります。
智慧と慈悲が無いと苦しい
逆に、智慧と慈悲の正反対なことをすれば、軋轢だらけになります。
智慧と慈悲の正反対とは、無知・冷酷ですね。
で、慈悲の無い知性、知性の無い慈悲も、冷酷、無知になるんですね。
おわかりでしょうか?
智慧と慈悲は、セットになって初めて適切になるわけですね。
このことは、日常生活でもそうなわけです。
智慧と慈悲は、セットになっていることが当たり前といいますか、世間でも望ましい有り様なんですね。あたたさがありながら賢い。人間味のある知性。
ロボットやAIのような無慈悲な知性ではダメなんですね。ぬくもりの無い知性の有り様では、瞑想を何年続けてもうまくいかなくなります。副交感神経がフリーズした状態にもなっていきます。
慈悲に連なる徳目
ところで、慈悲に連なる徳目を別の観点からいいますと、
- おもいやり、親切心(慈しみ)
- サービス精神がある(ほどこし)
- マナーを守る(戒)
という言い方もできます。これら3つの徳目は重要になってきます。仏教でも非常に重視している徳目です。
またこの3つは、瞑想修行では非常に大事なエッセンスになります。
おもいやり、サービス精神、マナー
これらは非常に大切です。
で、瞑想の土台である「ほっこり」とは慈悲につらなります。で、慈悲に成長しない「ほっこり」は、どこかズレているんですね。
智慧と慈悲。
非常に深いものがあったりします。