ジャイナ教の瞑想法
ジャイナ教の瞑想法についてまとめてみます。
情報が少ないのですが、かろうじて「ジャイナ教の瞑想法―6つの知覚瞑想法の理論と実践」に載っている、白衣派の「プレークシャー・ディヤーナ」がありますので、このメソッドをご紹介いたします。
※ジャナイ教では、海外渡航などの旅行が戒律で禁止されているため、海外に知られることが大変少ないといいます。
この本に載っている「プレークシャー・ディヤーナ」は、近代になって再構築された新しい瞑想法といいますので、果たして原始ジャイナ教の時代に実践していたかどうかは不明です。
「プレークシャー・ディヤーナ」だけを取り上げて、仏教の瞑想法と比較するのは決して正しいとは言えないと思いますが、一応、比較してみます。
プレークシャー・ディヤーナは「身体の知覚」
「プレークシャー・ディヤーナ」は、別名「身体の知覚」といわれる瞑想法で、心を内側に向けて、身体で起きているあらゆることを気付いていく瞑想法といいます。
しかも、知覚を「ありのまま」に見て、知覚に気付き、快・不快にとらわれないようしていきます。
「今、この瞬間に生きる」という姿勢で、現在起きていることに意識を向けていくといいます。
これは仏教で行っている瞑想と同じですね。
「知覚に気付く」「今この瞬間を生きる」とありますので、ジャイナ教も仏教の瞑想も同じではないかと思ってしまいます。
仏教の瞑想に似ている
少なくとも、身体の知覚に気付くというのは、ゴエンカ氏が提唱するヴィパッサナ瞑想法とほぼ同じではないでしょうか。
「プレークシャー・ディヤーナ」を見ていますと、ゴエンカ氏の10日間コースとほぼ同じメソッドが含まれています。
ただ、仏教との違いは、やはり仏教は最終的には「坐禅」にみられるように「なにもしない」となることですね。
仏教も「定」に関しては、梵我一如的でもあります。ですので仏教も途中までは「プレークシャー・ディヤーナ」と同じといってもいいかもしれません。
プレークシャー・ディヤーナ
「プレークシャー・ディヤーナ」では、宇宙との一体化を目指し、これがゴールのようです。全ては一体とする意識ですね。
また、心よりも、身体レベルでの知覚をとぎすませることで、カルマ(物質化されているとしている)を取り除くとしています。
この点も仏教と異なります。
ジャイナ教は「身体を重視」「カルマの消滅」「宇宙との一体化」が特徴ですね。これらの点は仏教とは異なります。
またこれらの違いが、ジャイナ教の瞑想にも反映されているということじゃないかと思います。
あとジャイナ教ではチャクラを開発します。
プレークシャー・ディヤーナのやり方
では近代に再構築された白衣派の「プレークシャー・ディヤーナ」をご紹介いたします。
瞑想は6段階になっています。
1.カーヤ・ウトゥサルガ
リラックスする瞑想。
2.アンタル・ヤートラ
意識を脊髄にそって上下させる瞑想。スシュームナ管に沿って気を上下させて気の巡りをよくするといいます。
3.シュヴァーサ・プレークシャー
呼吸に意識を向け、お腹の動きを知覚していく瞑想。鼻孔に出入りする空気の流れを知覚します。これは仏教のアーナパーナ瞑想に似ていますが、感覚を観ていくため四界分別観に近いのではないでしょうか。
また鼻の付け根を頂点として、上唇を底辺とした三角形の範囲で生起する感覚に気付きながら、呼吸の出入りに意識を集中します(これはゴエンカ氏が提唱するアナパナと同じです)。
4.シャリーラ・プレークシャー
身体と身体内部の知覚を観ていく瞑想。頭のてっぺんから足のつま先までの全細胞の知覚を観ていきます(これもゴエンカ氏の方法と似ています)。
また体内の「光」お観て、「気」を全身(遺伝子レベルまで)に巡らし体全体が黄金色に染まり、その光が四方八方に広がり、宇宙全体との調和をイメージしていきます。
5.チャイタニア・ケーンドラ・プレークシャー
チャクラ開発の瞑想。チャクラに意識を集中して、生起している振動や感覚を知覚するといいます。
6.レーシュヤー・ディカーナ
チャクラを利用して、善の魂のレーシュヤーという光の出ることを瞑想。
ジャナイ教では、霊魂に2種類と6種類の色があるとします。
・悪のレーシュヤー・・・暗黒、青、灰
・善のレーシュヤー・・・赤、黄、白
いわゆる霊魂が発生するオーラの色なのですが、チャクラを利用して霊魂のオーラをよくする瞑想のようです。
プレークシャー・ディヤーナのやり方
以上の6段階の瞑想が、白衣派の「プレークシャー・ディヤーナ」になります。「知覚に気付く」「今この瞬間を生きる」というのは、仏教にも共通します。
また、ゴエンカ氏の瞑想法と大変よく似ているメソッドが含まれています。
しかし、チャクラを開発して、このパワーで霊魂を清浄にする、カルマを取り除くとしている点がジャイナ教としての瞑想法になるのでしょう。
仏教の場合は、ヴィパッサナ瞑想で智慧(明知)を得て、厭離が生じ、解脱するといいます。とはいっても「坐禅」に集約されていますね。
ちなみにお釈迦さまは、ジャイナ教の瞑想法では悟りは得られないといわれています。対象を設ける瞑想では悟ることはできないからですね。