マズローの自己超越と「欲求6段階説」
「マズローの欲求5段階説」で知られている「マズロー」。
現在ではほとんどの人が知っていますね。
そのマズローは、5段階の欲求の上に6段階目の欲求があるとしてとして「自己超越の欲求」を設定していたんですね。
つまり本当は「欲求6段階説」になります。
- 生理的欲求
- 安全欲求
- 社会的欲求
- 承認欲求
- 自己実現欲求
- 自己超越の欲求
こんな感じですね。
で、マズローのいう「自己超越」を深掘りしたくなって、図書館から本を借りて少し探索してみました。
ちなみにマズローは、晩年(60才頃)の1960年代から、自己超越の研究をはじめ、後述するように「エサレン研究所」にも所属していたようです。
マズローの自己超越とは2つの至高体験
で、「自己超越」とは「至高体験」を指すようですね。
しかしマズローが言う「自己超越」は幅が広いです。
結論を先にいえば、
- 覚醒体験・・・真我体験(エネルギー活性体験)
- 変性意識体験・・・アストラル界体験(意識の変容体験)
このように2種類の意識が混在していて、いわば非日常的な意識をザックリまとめて「自己超越(至高体験)」としているように思います。
覚醒体験としての自己超越
マズロー自身が混乱しながら説明している点は否めませんが、自己超越(至高体験)とは要するに、覚醒体験、真我体験、一瞥体験、聖霊体験といった体験を総称した真我体験であることがわかります。
というのも「向こうからやってくる体験」「体験すると心の健康度が増す」などの説明もあるからですね。
これらは真我体験の特徴でもあります。
アストラル界的体験としての自己超越
けれども真我体験とは別に変性意識(アストラル界的体験)も含んでいます。
マズローも具体的にあげていますが、これらは、恋愛、親からの愛情、性的な体験、出産、ひらめきの瞬間、深い洞察を得た感動、スポーツによる恍惚感や至福、「フロー体験」ですね。
で、これらは変性意識になります。
自己超越の研究は試行錯誤だった?
覚醒体験と変性意識との違いがわからず、個我的な認識や愛情とは異なる「B認識」「B愛情」「B価値」という「B」という概念を使って、試行錯誤しながら、また言葉を費やしながら至高体験の周辺を一生懸命に説明しています。
しかしながら率直にいって、マズローの自己超越はうまく整理が付いていないようにも思います。
マズロー自身うまく整理がついていなかったようにも思いますが、晩年は自己超越に深く関心を寄せて、自己超越(至高体験)の研究に没頭したようです。
この辺りのことはマズローの「完全なる人間-魂の目指すもの」などに詳しく述べられています。
エサレン研究所とマズロー
ちなみにマズローは、1908年に生まれ、1970年に亡くなっています。
自己超越の研究は晩年に行ったといいますので、晩年はカウンターカルチャー(ヒッピー文化)が盛んだった時代ですね。
1960年代のアメリカでは、ヒッピー文化にも影響を及ぼしていた「エサレン研究所」が精神探索と研究のメッカだったようですね。
エサレン研究所は超越意識を含む人間性の回復(ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント)を目指した研究所。
マズローは、ヒッピー文化の担い手でもあった「エサレン研究所」に所属していたようです。マズローの自己超越は、エサレン研究所とも関係があるということが浮かび上がってきます。
エサレン研究所で考案された人間性回復テクニック
そんなエサレン研究所では、ゲシュタルト療法、グループ・カウンセリング、トランスパーソナル心理学、セラピー、コーチング、瞑想、ヨーガ、ヒーリング、各種ボディワークなど、様々な心理ワークやボディーワークの実験と考案が行われています。
OSHOのコミューンにもエサレン研究所のメンバーが多く入っていたといいます。
エサレン研究所で開発されたテクニックは、現在でも形をかえて広まっています。
一言でいえば「人間性回復テクニック」になりますね。さらには自己超越(至高体験)にいたろうとする試みもあったようです。
マズローの自己超越(至高体験)の研究もエサレンと関係があるようで、自己超越(至高体験)に熱心に取り組んだのもエサレンの影響があるんじゃないかとも思います。
自己超越(至高体験)は現在のほうがわかりやすい?
マズローが研究していた「自己超越(至高体験)」は、現在のほうがもっとシンプルかつ明快に説明できますね。
自己超越の欲求とは、自我の超越であり、大我、真我、善性、創造主、宇宙意識といった世界中の宗教で説かれる意識を求めること、つまり高次意識を求めることをいいます。
で、こうした意識に開眼するために「瞑想(プレゼンス系の瞑想)」は役立ちますね。私の瞑想会でもお伝えしています。
ただしマズローのように「成功」といったニュアンスではなく、「心をよくする、きよめる、高める」といった文脈の中で瞑想を行い、そのプロセスにおいて自己超越的な意識に開眼したり、体験するということになります。
マズローの研究は粗削りではありますが、半世紀以上前の手探りの足跡でもあって、これはこれで興味深いものがあると思います。