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悟り・解脱がおすすめの理由
悟り・解脱のほうがおすすめです。
このことを、以前行ったセミナーの資料から引用してざっと紹介します。
「悟り」と「覚醒体験」は違う~悟り体験をよむ 2022年2月4月講座まとめ 悟り・解脱に関する補足講座~2022年4月11日開催
悟り・解脱とは?
悟りとは無我にいたることで、解脱の中に悟りがある。しかしどちらも本質のところは同じで、迷い苦しみ煩悩から解放されて自由になること。
何故、悟りがおすすめなのか?
⇒苦しみが無くなるから。
⇒「私」という認識・自覚が無くなり、記憶や観念が絡まない「生の事実」「あるがまま」として受け止められ、この認識の有り様が苦しみを生じさせなくさせる。
⇒言い換えると苦しみが連続しなくなる(いまここ)。これを「前後際断(ぜんごさいだん)」という。
⇒解脱は、宇宙最高神の梵天(ぼんてん)という神さまよりも優れている。梵天という神さまも生まれ変わり、どこかで苦しみのある生命に生まれ変わる。
⇒全ての生命は遠い過去世において皆、梵天だった。しかし生まれ変わりを続けて今こうしている。
あるがまま=いまここ
あるがまま=いまここ。
どちらも同じこと。
・あるがまま・・・ 「受け止め方」から表現した認識の有り様
・いまここ・・・ 「時間感覚」から表現した認識の有り様
悟り・解脱と一瞥体験・覚醒体験との違い
※横にスクロールしてください
悟り ※私(三結)の根絶 | 覚醒体験、見性体験、見神体験、一瞥体験 | |
瞑想の特徴 | ◎坐禅を行う
◎坐禅は対象を持たない ◎坐禅はなにもしない ・純然たるあるがまま ※対象を設けないので |
◎瞑想を行う
◎瞑想は対象がある ◎瞑想はなにかをする ・観察瞑想、集中瞑想などほぼ全ての瞑想が該当 ※対象を設けると、必ず自他観が生じる |
認識の様子 | ◎認識がいったん止む
・完全な無我となる(認識しない状態) ・悟りが起きる ・ナマの事実(記憶、判断がからまない ・認識がいったん止むとは、 |
◎認識は止まない
・覚醒体験(見性体験、一瞥体験)が起き得る ・禅定が起き得る ・記憶。判断が絡まないナマの事実は決してわからない ・認識がいったん止まない |
体験の有無
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◎何らかの体験が無い(無我だから)
・「見ている自分」がいないから、 |
◎何らかの体験がある
・見ている自分がいるから、体験がある(体験する) |
体験の深浅 | ◎体験の深浅は ない(全員、同じ) |
◎体験の深浅はある(バラエティに富む)
・体験に深い浅いがある。 ・体験の仕方に違いがある。 ・何度も体験することがある。 |
本質 | ◎本質は認識の変容
・意識の変容はない ・意識の拡大・高揚はない |
◎本質はエネルギー(チャクラ)覚醒体験
・意識の変容が起きる ・意識の拡大・高揚が起きる ・浄化力、遠隔透視、超能力が生じることがある |
体験後 | 体験後は認識が変わる
・私(自他観)が完全に無くなる ・事実実物、あるがまま ・苦しみ迷いから解放され自由になる |
体験後も認識は変わらない
・私(自他観)はわずかでも残る、戻る ・不完全な「私の消滅」 ・不完全な「あるがまま」 |
苦しみ | 苦しみの根絶 | 苦しみの根絶は起きない |
認識の煩悩 | ◎認識の煩悩(三結)が根絶する | ◎認識の煩悩(三結)は根絶しない |
方法 | ・原始仏教
・大乗仏教(中観派、瑜伽唯識派) ・禅(道元禅)
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・臨済禅
・アドヴァイタ(ノンデュアリティ) ・各種ヨーガ ・キリスト教神秘主義 ・タオ ・現代覚者のほぼ全て |