身口意の三業を整えることの大切さ
瞑想もそうですが、やはり大事なのは「よき心となり、よき身体となり、よき人となる」ことです。
仏教ではこれを「身口意の三業(しんくいのさんごう)」といって、
- 身・・・行為が適切なこと
- 口・・・言葉が適切なこと
- 意・・・考え・心が適切なこと
を推奨しています。
私も「身口意の三業」は重要視しています。
「身口意の三業」が整うことがまず必要であると思っています。瞑想も、身口意の三業を整える一環という言い方もできます。
実際は、瞑想だけでなく日常の生活から「身口意の三業」を適切にしていきます。これは何も仏教に限らず、世界中の宗教や教え、自己啓発などが推奨していることですね。
気づきの瞑想が心を善くする
で、「身口意の三業の善くする」ことを実現するためには、「自分の心(本心、本音)」に気づくということが重要になってまいります。つまり「気づきの瞑想」です。
で、気づいたならば、そのままにして、自分を許し、自然な解放現象を待ちます。
これが「浄化」です。
瞑想を一言でいえば「浄化」です。心を浄めること。
「整える」「適切にする」という言い方もできます。
仏教とは「心を浄める教えと実践」とも言われています。
ちなみに実際は、日本語の適切さ、歴史の学び(正しい情報を知る)、論理的な思考、経済、お金(豊かさの実現)、食(安全な食事をする)、運動、健康法などの知識や実践も必要になってきます。
全方位的な取り組みが必要
ですので、実際の修行においては「全方位的な取り組み」になってきます。
その全方位的な取り組みとは、本当は学校でしっかりと教えたほうがよい教科でもあったりします。それは、
- 善・徳の感覚(瞑想)
- 国語(日本語)
- 古典(日本の古典)
- 歴史
- 算数
- 簿記(簿記がわかるとお金のことが理解しやすい)
- 論理学
- お金(MMT:現代貨幣理論)
- 金融
- 政治
- 経営
- 食と医療
- 身体学
です。
これらは小学生の頃から触れるようにしたほうがいいですね。
中でも「善・徳の感覚」は、すべての土台になります。「善の感覚」がわかってはじめて、これらの科目も正しく活かすことができるようになります。
瞑想による恩恵を生活に活かす
けれども下地がある程度、出てきている方もいます。なので実際のところは、日常的な実践や瞑想に特化した話しをすることが多くなっています。
けれども本当は、上記のような全方位的な取り組みが望ましくなります。
というのも、瞑想で得られる恩恵を、実生活に活かすことができるからです。
で、必要に応じて、私も、知っている限りの上記のことをお話しもしています。
まとめ
しかし大事なことは「身口意の三業」を善くしていくことですね。
「心を浄める」こと。
これが中核になります。
これが最も重要になります。
心が浄まることで「善・徳の感覚」もハッキリしてきます。
現代人の多くは、善・徳の感覚がにぶくなってしまっています。
瞑想を通じて、善・徳の感性を明瞭にしていくこともまた大事であると思います。
ちなみに、これを助けるのが「天啓気療」ですね。
瞑想+日々の言動の適切さ(身口意の三業を整える)+天啓気療
これを推奨しています。